当社では、役員と本部長以上の幹部の方は、毎月社長から提示されたテーマについてレポートを提出し、その内容を全員で討議する研修を実施しています。なかなかハードな内容ですが、もう何年も欠かさず実施しています。その研修の今月の課題が「人事」に関することだったのですが、きちんと朝礼で人事の考え方について話をしたことがありませんでしたので、今月はこれをテーマに選びました。

1.経営における人事の役割

先ず、経営における人事の役割を考えてみたいと思います。理念本セリオ1巻30ページに私は「経営」について『経営とは「ヒト・モノ・カネ・情報」等の経営資源を使ってそれらの合計以上の成果を生み出すことである。』と定義しています。

なぜ社長になった最初の段階でこれを申し上げたかと言うと、「私は、経営についてこういう考えで組織運営をしていきますので、それに反した考え方をしていたら指摘してください。また皆さんもそれを前提として一緒に経営に参加してください」という目的があったからです。

経営とは何であるか、というのは根本的なテーマではありますが、別に法律で決まっているわけではありませんし、結構色々な定義ができるものだと思います。ですから、これをきちんと定義しておかないと社長と幹部が経営について基本的な考え方が違うことがあるかもしれませんし、こういう基本的なことについて社長の考えがコロコロ変わるようでは、社員の方々は安心して組織運営はできないでしょう。

そこで、私は、社長になってから10年近くなりますが、ずっと同じことを言い続けています。幹部の皆さんもこれを暗記しているかどうかは知りませんが、共通の認識を持っているとは思います。

理念本には、続けて『中でも「ヒト」は最も重要な経営資源(人財)であり、企業の経営資源は結局「ヒト・ヒト・ヒト」なのである』と記載しています。要するに、とにかく、ヒトが全てあり、経営がうまくいくかどうかは、いかに人を生かし成果を上げるかにかかっているということです。Hi-WTPを作ることができるのも、「ヒト」でしかありません。

では、人事とは経営においてどのような役割を果たすのでしょうか?一人でやっている仕事、例えば個人営業のラーメン屋さんなどは、人事は関係ありません。自分がやりたいようにやればいいのですが、自分以外の人を使って成果を上げるということを実行しようとすれば、人事という概念が非常に重要になってくるのです。これは理解していただけるのではないでしょうか。

 

2.「人事」と「財務」が組織の動脈

私は、経営をする上で、他の幹部に任せられるものはほとんど任せています。本当に、ちょっと信じられないくらい日常的な実務判断は幹部の皆さんに任せ切っています。しかし、経営責任者として任せ切ってはいけないもの、最終的に自分で判断し責任を取らねばならないものが2つあると考えています。それは「人事」と「財務」のところです。

どういうことかと言うと、仮に、幹部が行った人事の結果、プロジェクトが失敗して赤字になったとしても、結果責任は代表取締役である私がとらなければならないと考えています。それは、実際の業務に関与していなくても、報告がなくても、私が信頼してその幹部に任せ切った結果であるからです。最終的に結果責任をとるということは、なかなか厳しいことではありますが、その前提として、朝礼や研修を通して、組織運営においては、こういう考え方で取り組んでください、ということを日ごろから色々お話しさせてもらっています。

では、なぜ、経営トップが結果責任を取らなければならないかというと、「人事」と「財務」は、組織の動脈だからです。組織には、ほかにも色々な機能があり、人間の身体でいえば神経のように、ここを切ったら片方の手が使えなくなる、ここをきったら足が使えなくなるということはありますが、そういう大切なものであっても、最悪の場合は部分的に切断しても生き残ることはできます。ただ、動脈を切られるとそれは死ぬことを意味します。

経営責任者にとって「人事」と「財務」は動脈であるという認識が非常に大切なことなのです。「人事」と「財務」については、最後は経営責任者が言い訳できないことであり、逃げてはいけないことであり、責任を取らなければならないものなのです。

それ以外に、「営業力」「技術力」「商品力」などのコア・コンピタンスとも言うべきものはあります。そういう会社の強みは色々あり、私も強みを生かせ、コア・コンピタンスに集中しろといっているので、それが一番大事だと思いがちなのですが、結局、そういう強みを生かすも殺すも「人事」と「財務」にかかっているのです。

 

先日「人を大切にする経営のための会計」というテーマで財務的な話をしました。お金をどのように使いコア・コンピタンスを生かすか、いかにして資産の回転率をあげるか、キャッシュを生まない資産をキャッシュを生む資産に変えるかが財務的な思考であるという話でした。では、その仕組みを回すのは誰かというとそれはヒトになるわけです。最終的にはヒトをどう使うかが大事であり、人事にかかってくるということになります。

 

.経営者の経営センスは人事で決まる

経営者の経営センスとは何で決まるかと言うとやはりヒトとカネの使い方のセンス、特にヒトの使い方なのです。

   松下幸之助さんでも、本当に最初の最初は二股ソケットとか、そういうモノづくりのセンスから始まったかもしれませんが、経営者として成功したのはカネとヒトの使いかたが上手だったからでしょう。だから、まったく学歴もない人であったのに、高学歴の人をたくさん使って世界的大企業にまで成長させることができたのでしょう。

稲盛和夫さんも、創業したての頃は商品を開発していた技術者だったかもしれませんが、京セラを世界的な企業に成長させ、経営者として有名になったのは、カネとヒトのセンスがずば抜けていたからでしょう。JALを再生できたのはその典型です。稲盛さんは飛行機のことが詳しいわけではなかったと思いますが、大赤字だったJALに経営理念を確立させ、カネをどうするか、ヒトをどう使うかについて考え方を示したわけです。そしてたった数年で、赤字会社を再建してしまったのでしょう。

私は、幸運なことに若いころ、実際にライブ感覚で経営再建の現場を体験したことがあります。それは、住友銀行員時代の話です。当時、私は住友銀行の根幹取引先の大企業だけを担当する部署でいちばん若手の行員でした。そのころのアサヒビールはビールのシェアが10%を切るところまで落ち込み、シェア60%のキリン、20%のサッポロには大きく水をあけられ、ついに後発のサントリーに追い付かれそうなジリ貧の経営状況でした。この状況を打開すべく、住友銀行から3人続けて社長が送り込まれていました。当時の村井社長は経営不振に陥ったマツダ(東洋工業)を再建させた手腕を買われてアサヒに行った方でしたが、村井社長をしてもなかなか経営状況を変えることはできなかったのです。そんな絶望的な状況の中、当時副頭取であった樋口廣太郎氏が社長として送り込まれたのです。この大きな人事の余波で、当時の私の上司がアサヒの経営企画部長に異動になり、樋口副頭取の秘書が営業に異動になり、一番下っ端だった私はその方とコンビを組んでアサヒを担当することになったのです。

そういう経緯で、それから銀行を退職するまで数年間、私は有名な『スーパードライの奇跡』をライブで体験することができました。樋口新社長は、社内の批判の嵐を全く気にせず、それまでの常識をひっくり返すような破天荒な人事を次々と実行しました。

結果的に新商品のスーパードライは驚異的にヒットし、今では業界トップ企業に成長しました。この間のことは、機会があればいづれまた詳しくお話したいと思います。アサヒの成功は財務戦略に負うところも大きいのですが、若いころに、いかにカネとヒトが大切であるかを体感し、ここを変えるだけでこんなに会社が変わるんだと確認できたことは本当に幸運でした。

野球でも、今迄最下位があたりまえだったチームが、野村監督や星野監督が就任したら優勝するようなチームに変わったということもありますし、フロントの力、財務の力でいい選手をスカウトしてチームが強くなった事例もたくさんあります。

そういうことで、経営者の“経営センス”の良し悪しは「人事」と「財務」をいかに上手く回せるかということで決まるのではないかと思います。

 

4.当社の人事方針について

前置きが長くなりましたが、いよいよ本題に入ります。

すでにここ数年実践していることですし、当社のカルチャーになりつつあることではありますが、当社の人事方針についての話をしたいと思います。

 

  • 実力主義(=貢献主義)

最初の方針は実力主義ということです。ごく簡単に言えば、学歴や家柄等で差別をしないということです。

官庁や大企業などでは、学歴や入社試験の順位等でその後の出世が決まるようなところがあります。例えば、昔、陸軍でも海軍でも士官学校を卒業であればいきなり少尉になれました。陸軍で少尉とは小隊長格であり、50人くらいの兵隊の指揮官です。ところが2等兵で入った人は、どれほど戦闘において優秀な戦士であっても、軍曹や曹長にはなれても、よほどのことがない限り、多分一生かかっても少尉にはなれません。官僚的な組織であればあるほど、そのような傾向があり、警察でも東大卒でキャリア(上級国家公務員)試験に合格して採用されると若くして署長になれたりします。ちょっと前に流行った「踊る大捜査線」というドラマ・映画の中でも、ユースケ・サンタマリアが演じていた真下という登場人物は最初織田裕二が演じた主人公の青島刑事の後輩でしたが、最終話では警察署長になっていました。主人公の青島は、交番のお巡りさんから努力して所轄の刑事になったわけですが、犯罪が起きて、現場目線で色々な意見を言っても全く主導権を取らせてもらえないのです。「事件は会議室で起きてるんじゃない!」というセリフが流行しましたが、実際犯人を逮捕しているのは現場の刑事なのに、彼らの意見は無視され、試験に通っただけのキャリア組のメンツで捜査が行われていいのかという映画でした。この映画がなぜ支持されたかと言うと、それは硬直化した大企業の組織に対する問題提起だったからです。会社の方針は、現場に来たこともない本店の偉い人が会議室で決めているが、実際にお客さんと交渉し、会社を動かしているのは現場の社員だということです。ところが、いくら現場で頑張って実績を上げても、有名大学を出て、幹部候補生として入社していなければ、出世できない仕組みになっていることへの問題提起だったわけです。

私が社長になって、理念を制定してから、最初に変えたカルチャーはここです。今では、当たり前になっていると思いますが、当社では学歴や入社試験の順位、家柄等で出世がきまるということは問題外であると考えています。

では、なぜ、それが問題外かというと、環境も人間(人材・人財)も変化していくからです。外部環境も、内部環境も変わり、さらにその人自体も変わるということです。ヒトは自ら努力することによって変わる存在であることを前提とした経営をしているということです。理念本でも、繰り返し、繰り返しセルフ・ヘルプという言葉を使っていますが、自助努力によって人間は変わる存在だということを前提として経営を行っています。言い換えれば、大学卒業時の成績がどうであれ、入社後の努力によって人は変わるし、それに応じた人事をしていくということです。これは、有名なジェームズ・アレン著「原因と結果の法則」そのものでもあります。この考え方を経営に応用するとそうならざるを得ない、まして、環境の変化が激しい時代にはそうなります。

そして、経営理念実現のためにどういう貢献ができるかという実力を問うことが人事評価のベースにあるということです。社員とその家族の幸福を実現するため、協力会社の方々とそのご家族の幸福を実現するためにどのような貢献ができるかどうかが人事評価の基本です。必然的に、学歴や職歴、性別、縁故等は一切昇格や昇進に影響していないはずです。

社員を幸福にできる力のことを実力と呼んでいるわけです。

これは、サッカーのような集団でやるスポーツの世界でも同じでしょう。単に、鳴り物入りで入団しただけでは使えないのです。何がチームにとっての貢献かを監督が定義し、その選手がチームの貢献にフォーカスすることが重要です。点を取る事が貢献なのか、ボールをキープすることが貢献なのか、速くディフェンスに回ることが貢献なのか、貢献をどこに集中させるかがポイントになります。

会社経営でも同じで、そのプロジェクトにおけるその人の貢献をコーチ役の人や現場で判断しプレーするプレイヤーにいかにコミットさせるかが監督のマネジメントの要点となります。私も幹部研修の中で、そういうところに注目して幹部の発言を聞いていますが、こういう考え方が当社の組織内に浸透しているのではないかと感じています。

 

  • 「強み」を生かす(=適材適所)(理念本①36ページ参照)

「強み」を生かすということも理念本その他でくどいほど言い続けていることです。よく人事とは適材適所が大事だと言われるのですが、私的には、「強みを生かす」=適材適所という事なのです。要するにその人の「強み」に合わせた仕事をしていただくということです。

基本的な方針として、「それぞれの人には長所があるので、できるだけ長所を見つけ、それを評価して貢献してもらおう」と考えて経営をしてきました。その方針に沿ってどういう人をリーダーに抜擢してきたかと言うと、簡単に言うと「自分に厳しい人(克己心の強い人)」です。別な表現では、理念本第4巻46ページにも克己心の強い人と記載しましたが、自分に厳しい人とは、自分を甘やかす誘惑に打ち勝てる人、自分を律することができる人のことです。他人に対して甘える心が強い人や利己主義的な傾向のある人はあまり幹部に登用しないようにしています。なぜかというと、役割が変わることで求められる成果が変わるからです。

要するに、プロジェクトに参加しているメンバーとその上の部長、本部長では、当然求められる成果が違うわけです。当社は、ほとんどが技術系の方なので、自分でマネジメントを学んでいただかねばならないわけですが、その前提として「自分を鍛え直す厳しさ」があるかどうかが大事なポイントになるのです。そういう意味では、役職が上がれば上がるほど勉強が必要になる組織になるべきであり、現実にそうなりつつあるのではないかと思います。

たまに「自分は優秀なエンジニアなのに、なかなか出世ができない」と言って辞めていく方がいますが、この辺りのことが全くわかっていないと言わざるをえません。「自分は開発ができる」という意味での優秀さは、エンジニアとしての優秀さであって、他の人をマネジメントして成果をあげる能力とは、それとはまったく違う「新しい能力」なのです。ですから、もし、その方がリーダーとして自分のステージを上げようと思ったら、「新しい能力」を身に着ける必要があります。この「新しい能力」とは、「目標設定する能力」「人をまとめる能力」「仕事や予算を取ってくる能力」等々の成果をあげるためのマネジメントの力です。新しい能力を身に着けていないのに、辞めるということは、近視眼的なものの見方しかできていないということです。

例えば目標設定で、自分の仕事の目標設定ができても他の人の目標設定ができますか?ということです。自分がプロジェクトの中できちんと仕事をするだけでなく、Aさん、Bさん、Cさん、能力も性格も違う人達を使って、1+1+1が3以上の5にも10にもなるような成果を上げることができますか?ということです。それが評価になり、給料に結びつくということです。さらに、これは非常に重要なことですが、仕事をとってこれますか?ということです。また、予算をとること、納期の交渉をすること、人が足りないので他社や他部署から人を引っ張ってくる等、そういう能力もあります。総合的に成果をあげるためのマネジメント力を養っているかということです。戦国時代でも、たまたま大将の首をとった人がいて、その人が大将になれるかというと違うでしょう。戦略を立てる能力、人を使う能力がないと大将になれない、そういう事です。

以前、勉強カルチャーということも言いましたが、立場的に偉くなればなるほど自分に厳しくなることが当たり前の組織にしたいのです。なぜなら、人財は我が社にとっての宝物であるからです。人財を生かすマネジメント側になる方には、自分を生かすだけではなく人を生かすことへの自覚がある事が重要です。その自覚があると、自分の未熟さを痛感します。私も、未熟さを痛感しているからこそ、様々な経営セミナーや会社訪問に行き勉強しているわけです。自分の未熟さを知らないと他から学ぶことはできません。「大切な人財を生かす(マネジメント)側」になることの自覚があれば、自ずと「その能力が未熟である自分を厳しく鍛え直す覚悟」ができるはずです。当社では、中間管理職向けにこの自覚を促すための研修も実施しています。

 

  • 抜擢人事と敗者復活戦

この数年実践してきたことは、

  • マネジメントに必要な見識や能力が備わっていなくてもチャンスを与えて任せてみる
  • 一定の時間を与え、教育を施し、その内容に基づいて自分で考え、試行錯誤をしていくうちにだんだん育ってくるだろう、

という楽観的な考え方で「人事」を実施してきました。

その中には、抜擢人事的なものもあったと思いますが、もちろんその打率は十割ではありませんでした。失敗する事も多々ありましたが、それは直属の上司や本人の責任もゼロではないと思いますが、基本的には抜擢を容認した私に責任があると考えています。

また、後で考えてみたら与えたポストやミッションが、その人以外の誰に任せてもできない業務であったということもあります。(ドラッカーは“後家殺し”の業務と呼んで戒めています。)ですから、1回失敗したからといってダメだということは全く考えていません。いつでもやり直していただけるようなチャンスやポストは与えていく方針でいます。いつの場合も敗者復活戦はあると考えています。

 

  • 見識の醸成(=風通しのよい組織)

常に長期的に、5年、10年、20年の間、志を忘れずに見識を広げる努力を続けていける人は、成果をあげるマネジメントができるようになると思っています。私は、マネジメント層の知力ベースマネジメントのポイントは、正しい見識を持つことができるようになることです。見識とは簡単に言えば、モノの見方、考え方のことです。それは、単に勉強するだけ、物知りになるだけでは身につきません。様々な経験を通して身についてくる知恵のようなものです。

なぜ、マネジメント層に見識が必要かと言うと、それがないと本当の意味で多様な意見を聞くことができないからです。風通しの良い職場にするには「部下の意見を聞く耳を持ち」、「衆知を集めることができる」組織にする必要があります。しかし、見識のない上司だと「話は聞いてくれるが、何も判断してくれない」という不満が出てくるのです。部下の意見を聞くといっても、部下の中には勘違いして「言論の自由」的に奇抜な意見を言ったり、野党的に反抗したりする協調性のない人もいます。プライドが高く、自分の存在感を示したいだけの自己顕示欲の強い人もいますし、同僚や後輩に嫉妬して、批判や誹謗中傷をするような人もいます。そういう時、それを「全否定」してもダメですし、「全肯定」ももってのほかです。そういう人を善導するには、その人を上回る知力と見識が必要です。その見識を共有する手段としてこうして朝礼で話をし、それをHPに公開し、本にしているのです。

先日も他社の管理職の方から、セリオホームページの私のコラム記事を活用して部下と話をする材料にしているとお礼を言われたことがあります。そういう方は結構いるようですが、理念本を上手に活用すれば、上司としての権威を維持しつつ、風通しの良い組織が作れるはずです。部下を叱るときも、部下の方が上司に諫言するときにも使えると思います。

 

もし幹部に見識がないとどうなるかと言うと、私など何も言えなくなってしまうのです。どういうことかというと、見識のない人は「指示」と「提案」と「相談」の区別がつかないのです。たとえば、私が、「こういうのをやったらいいんじゃない?」という感じで発言しいたとして、見識のある人であれば、「提案」であると理解し、「確かにそれもいいのですが、こういう事情で時期尚早だと思います」などと言ってくれるのですが、見識のない人だと「社長がこう言ったからすぐやらねばならない」ということになってしまうのです。今度、新岡山オフィスを建てると聞きましたが、仮に私が「新オフィスには立派な社長室があるといいね」と言ったとしても、必要がなければ作らないでしょうが、見識のない部下だったら、もしかしたら要らない社長室を設計してしまうかもしれません。そうなると、なにも発言できなくなりますし、冗談も言えなくなります。社長である私にも言論の自由があって、自分の意見を言う権利も義務もあると思うのですが、幹部にその意見を受け止めるだけの共通の見識がないと何も言えなくなってしまうのです。

また、同じような対応でも「人・時・場所」によって言うことが変わることもあるのですが、それが理解できない部下もいます。例えば、ある本部の幹部に対しては「取引先を広げよ」と言い、別の本部の幹部に対しては「取引先を絞り込め」などと反対のことを言うこともあります。それは、その部署が置かれている状況が全く違うからなのですが、幹部に見識がないと社長は二枚舌だ、方針がいい加減だとなってしまうことがあります。見識があれば、お互いの置かれている状況が違うからだと理解できるので、ここもマネジメントにおいて重要なポイントになってきます。幹部に一定の見識があるからこそ、大胆な権限委譲も可能になってくるのです。

 

今月は、ここまでですが、引き続き来月も人事についての考え方の続きをしたいと思います。